結論 ⬇︎
英語が出来るようになって、博士号がもし取れたら、
色んな道が開けるような気がしたからです。
⭐️私➡︎ 英語0➡︎アメリカ留学で学費免除で博士号取得➡︎アメリカで大学教員(自己紹介)
2分くらいお話ししておしまいです。
【恐怖】なぜ留学した?【スポーツ心理学/留学/大学院】
私は、高校生の時から高校の先生を目指しました。
そう、テニスに関わる仕事で、顧問が出来るからです。
教員免許が取れて、テニスが出来る大学へ。
大学生としてテニスをしました。
勉強はいまいちでしたが、
教員免除は保健体育で取りました。
先生になる前に、大学院に行って先生になる勉強をしたほうがいいんじゃないの?
納得して、大学院に進学しました。
別に、スポーツ心理学に興味があったのかと言われると
そこまで興味がなかったように思います。
でも、例えば、プレッシャーで力が出せなくなることがあるのは、何でだろう?(理由は大きく2つ)
といった疑問はありました。
転機が訪れたのは、大学院1年生の終わり。
大学の先生を毎日のように見ていたのもあって、
大学の先生になりたいと思うようになりました。
大学の先生の方がスケジュールも自由な感じがして
こんなこと言ったらお気楽なのですが…
楽しそうでした。自由度が高そうでした。
忙しい度合いを好みで変えれそうでした。
(高校の先生になりたいと思ったのも、正直楽しそうでテニスと体育教えればいいんだな、くらいでした)
*もちろん、高校の先生は授業を目一杯教えて、部活を見てとびっくりするくらい実際は大変なのは教育実習を通して、現在は理解しているつもりです。
話を戻して、大学院の終わりに
教員採用試験を受けるのを辞めました。
月日が進んで、修士論文で忙しい
大学院2年生の11月くらいだったでしょうか。
進路を真剣に考えて、
全部で6つくらいの選択肢がありました。
- 母校に戻って、高校の先生で部活の顧問
- 幼稚園で働きながら(大学院2年生から始めました)研究生
- 非常勤をしながら瞑想・研究
- 博士課程で〇〇大学へ
- 博士課程で〇〇大学へ(2つ目の選択肢です)
- アメリカに行ってみる
1番、意味不明であって、想像できなかった
➡︎ 6.アメリカに行ってみるです。
今、アメリカに行け➡︎多分怖くて行けません。
なので恐怖です。
英語も出来なかったので、今思えば、恐怖です。
でも、その時は、色々とうまく行けば1番
良いのはアメリカに行ってみて、
最終的に、博士号を取るでした。
その理由は、世界中の人が集まる教員のいる
教育は優れている・英語は必要と思った為です。
(あ〜、日本批判してやがる〜って思っている方もいらっしゃるかもしれません。そんなつもりはないんですよ…私も日本人ですから)
1ヶ月、毎日どの選択肢が良いか考えました。
ブレるときもありました。
でも最後の2週間は、アメリカに行く
が頭から離れず、
もし行かなかったら一生後悔するような気がしました。
その為、大学院を卒業して、3ヶ月後の
2011年の6月から
アメリカに留学した
だた、それだけのお話しです。
行く前にアメリカに関して無知の中で立てたのが
8年計画でした。
それはこうです。
- 英語学校に半年
- 大学生として1学期(ここまでで1年)
- 修士過程(大学院)2年か3年
- 博士過程(大学院)3年か4年
今日は、これでおしまいですが、
最後に皆様にこんなメッセージを送らせてください。
何かを始める為に、動く!
最近、やる気のある学生・ブログで見つけてくださる学生・社会人と話すことが増えてきました。
このやる気(モチベーション)は何かあると、
ふわっと上がるのです。
でも、消えてなくなってしまう面白いものです。
海外旅行に行って、英語の勉強のやる気が超UPして
知らないうちに消え去った経験と思ってください。
(私は、ありました)
もし、このブログを見て、ちょっとやる気が上がったなという方がいたら
24時間以内に何かを動いて始めてください。
何故か?
24時間を過ぎると70%くらいのやる気(モチベーション)が無くなってしまうと言われています。
仕事のスキルアップの勉強でも良い。
英語の勉強でも良い。
健康の為の運動でも良い。
論文を書き始めるでも良い。
何でも良いのです。
何かを始める為に、動く。
そんな人がこの中で1人でもいれば、嬉しいです。
何かを始める為に、動く!
ですよ!
何かを始める為に、動く!
それでは皆さん、また〜。
ひろ / Hiro / 岩月猛泰(自己紹介)